血便と排膿でトイレに駆け込むこと1日20回
私は潰瘍性大腸炎という病気で何度もつらい思いをし、医師から大腸全摘手術まで勧められていました。
しかし、そんな重症でも、食事を変えれば完治することができました。
私が体の異常に気づいたのは、2005年3月、北海道から上京した翌年のことでした。
おなかが痛くてトイレに駆け込むと、便器が真っ赤に染まりました。
こんなに大量の下血は経験したことがなかったので、びっくりして、すぐに近所の肛門科を受診しました。
そこで切れ痔といわれ、座薬を処方されましたが、出血はいっこうに止まりません。
肛門科の医師から、「痔ではなく大腸の病気かもしれない」といわれ、総合病院で検査を受けると、直腸型潰瘍性大腸炎と診断されました。
幸い初期だということで、腸の炎症を抑えるペンタサという薬が処方されました。
しかし、薬でよくなることはありませんでした。
潰瘍性大腸炎は、症状が落ち着いた状態(寛解)と、悪化(増悪)をくり返す病気といわれますが、私の場合は慢性的な増悪型でした。
常に血が混じった下痢状の便とドロッとした膿の排出が続き、しかもおなかにガスがたまります。
しかし、オナラをするといっしょに血便や膿が出てしまうので、1日に何度もトイレに駆け込まなければなりません。
1日に20回以上トイレに行くこともありました。
夜も2~3時間おきにトイレに行きました。
布団を汚したくないので、疲れていてもトイレに起き、十分な睡眠が取れません。
朝9時半から夜10時まで歯科医院に勤務する身にとって、過酷な毎日でした。
こんな病気になったのは、これまでの食生活に問題があるのではないかと考えました。
そして、当時、出合ったのが、新谷弘実医師の『病気にならない生き方』という本でした。
その本が、自分の食生活を見直すきっかけになりました。
私は北海道の生まれで、子供のころから牛乳を水代わりに飲んでいました。
また、東京で独り暮らしを始めてからは、コンビニのアップルパイとカフェラテが毎日の朝食でした。
砂糖が虫歯によくないことは歯科医師として十分知っていました。
しかし、もともと甘い物好きだったことに加え、忙しい仕事のストレスから、むしょうに甘い物が欲しくなり、いつの間にか、むさぼるように食べていました。
あと半日遅かったら命の保障はなかった
私は、新谷先生の本の教えに従って玄米菜食を始め、肉や乳製品を極力控える食生活に変えました。
ただし、甘い物だけはやめられませんでした。
サトウキビやテンサイからつくられる砂糖は、植物性食品だから体に悪くないと、勝手に解釈していたのです。
こうして玄米菜食に切り替えても、潰瘍性大腸炎はなかなかよくなりませんでした。
それどころか、むしろ悪化していきました。
また、花粉症や冷え症がひどくなり、原因不明の発疹まで出るようになりました。
そしてついに、最悪の事態を迎えてしまったのです。
それは、私が歯科医院を開業した1年後の2009年12月のことでした。
激しい腹痛に襲われて病院に救急搬送されると、そのまま入院することになってしまいました。
潰瘍性大腸炎の急性増悪で、大腸に穴が開いてしまったのです。
医師から、「あと半日遅かったら、命の保障はなかった」といわれました。
大腸内視鏡検査では、潰瘍性大腸炎は大腸の全体に進行しており、症状が落ち着いたら大腸を全摘する手術を勧められました。
一時はそれも覚悟しましたが、1ヵ月以上入院し、体力が回復してくると、どうしても大腸を失いたくないという気持ちが強くなってきました。
全摘手術は断り、退院後はさらに熱心に玄米菜食を続けました。
しかし、甘い物だけはやめられませんでした。
職場ではお菓子をつまみ、家では果物をよく食べました。
果物なら、自然の物なのでいいと思っていたのです。
潰瘍性大腸炎は、相変わらず改善しません。
薬は1日12錠飲んでいましたが、調子が悪いときは最大量の16錠飲むこともありました。
普通の形の便は9年ぶり下痢の再発は一度もない
私は、せっぱ詰まっていました。
今度急性増悪になったら、ほんとうに腸を取らなければなりません。
それは、どうしても嫌でした。
この病気を治すためには、なんでもしようと思っていたとき、アメリカの歯科医師ウェストン・A・プライス博士の『食生活と身体の退化』という本に出合いました。
そこには、並外れて健康な体と歯を持つ「先住民の食事」が紹介されていました。
同じころ、「先住民の食事」とほぼ同じような考え方の糖質制限食を知り、その食事指導を受けました。
それは、今までの玄米菜食とは真逆の食事で、糖質を減らして動物性たんぱく質をとる食事です。
このとき初めて、砂糖が体に悪いことに気がつきました。
先住民が健康を損なったのも、近代的食事に変えて、砂糖を過剰にとったからです。
砂糖と糖質を絶ち、肉などの動物性食品をとるようになって半年間、潰瘍性大腸炎が悪化することはありませんでした。
それは私にとってよい兆候で、この食事が合っていることを確信させるものでした。
半年を過ぎたころから、徐々にトイレの回数が減り、おなかの状態がよくなってきました。
それに伴って、薬(5-ASA製剤=アサコール)も少しずつ減り、それまであった冷え症や花粉症が改善し、原因不明の湿疹が消えて、肌の色ツヤもよくなっていきました。
こうして1年くらい経ったころには、薬が1日4錠まで減り、トイレの回数は1日4~5回になっていました。
以前に比べるとこれだけでも大改善ですが、薬を飲んでいる限り、完璧とはいえません。
そこで、さらに薬を減らしていき、2014年の3月には薬を完全に断ち切ることができました。
糖質制限食を始めて、1年半後のことです。
ほんとうによくなったのは、それから2~3ヵ月後でした。
薬を飲んでいたときには止まらなかった排膿も止まり、普通の硬さの便になったのです。
普通の形をした便をするのは9年ぶりです。
感激のあまり、しばらくその便を見つめていたくらいです。
1日の排便回数は、2~3回になり、現在に至るまで一度も下痢を再発していません。
むしろ、潰瘍性大腸炎になる前よりずっと健康になり、気持ちも安定して、前向きになりました。
この経験から、糖質制限食と先住民の伝統食に、私なりの考えを加えたオリジナルの先住民食を考案しました(下記『長尾先生の潰瘍性大腸炎に有効だった先住民食の基本原則』の参照)。
この食事の最大の特徴は、砂糖(代替甘味料も含む)をいっさい絶つことです。
甘味は、麻薬やタバコのように依存性が強く、どんどんマヒしていきます。
私も、甘味中毒でした。
それを絶つには、一気にやめて中毒から脱することです。
私は今、食事指導(先住民食)を取り入れた、日本で初めての「予防歯科」を行っています。
歯や口の健康は、全身の健康抜きには語れません。
歯周病の治療後の患者の定期検診でも、甘い物をやめるなど、食事指導を守っている人の歯茎は、引き締まって良好な状態を保てています。
一方、守れない人の歯茎は、炎症を起こしたり、出血したりというケースが少なくないのです。
長尾先生の潰瘍性大腸炎に有効だった先住民食の基本原則
(4)植物油(特にキャノーラ油、水添大豆油、パーム油など)の摂取を避ける。
(5)乳製品の摂取は控えめにする。
(6)良質の動物性たんぱく質(魚介類、肉、卵、チーズなど)は積極的にとる。

(7)野菜は新鮮な物をとる。
(8)動物性食品と植物性食品の摂取比率は7:3が好ましい。
(9)たんぱく質、脂質、糖質の摂取比率は4:4:2にすべき。
解説者のプロフィール

長尾 周格
1973年、北海道生まれ。歯科医師、歯学博士。北海道大学歯学部卒業後、同大学大学院修了。「日本一の歯科医師」を目指し、いくつかの歯科医院において技術を研鑽し、経験を積む。患者の自然治癒力を高め、歯の健康を維持する「予防歯科」を伝えるべく、精力的に活動を展開中。千葉市稲毛区で稲毛エルム歯科クリニックを開業。著書に『歯医者が難病になってわかったこと』(三五館)、『歯医者の99%は手抜きをする』(竹書房)など。
●稲毛エルム歯科クリニック
http://elm-dental.com/
(1)甘い物は果物を含め、いっさいとらない。
(2)糖質を多く含む物(パン、麺類など)はなるべく避ける。
(3)添加物の多い加工食品、インスタント食品、ファストフード、スナック菓子などはなるべく避ける。