耳の聞こえが悪くなる「難聴」は、加齢とともに増加する代表的症状の一つ。
65歳以上の約60%の人が聞こえにくさを感じており、75歳以上になると25%の人が日常生活に支障をきたすほどの難聴になるといわれています。
また、最近はイヤホンの長時間使用などの影響もあり、若い世代にも難聴が増えてきているようです。
難聴になると補聴器を装用するのが一般的ですが、改善効果が得られない人もいます。
しかし近年、補聴器とは異なるしくみで聴覚を代替する「人工聴覚器」が普及し、重症の難聴も治療可能になってきています。
難聴の最新治療について、国際医療福祉大学三田病院の岩崎聡先生に伺いました。
【取材・文】
山本太郎(医療ジャーナリスト)
難聴が進んでいてもあきらめることはない
――難聴の治療は近年、大きく進歩しているそうですね。
「難聴は治らない」と思っている人も多いことでしょうが、最近は治療法が進歩し、選択肢も広がっています。
補聴器を使用しても聞き取りが困難な高度難聴(下図の自己チェック参照)、あるいは補聴器が無効の重度難聴でも、治療可能な時代になってきました。

症状が進行して悩まれている人もあきらめないでくださいと、まずお伝えしたいですね。
まず、耳の構造と難聴の種類について簡単にご説明しましょう。
耳は外側から「外耳」「中耳」「内耳」と三つの部位に分けられます(”音の電気信号を直接聴神経に送る”の項の図参照)。
外耳と中耳は、簡単にいえば、音の振動を集め、増幅させて伝える部分です。
この振動が内耳の蝸牛という組織にある聴覚細胞(有毛細胞)でとらえられ、電気信号に変換されます。
そして、電気信号が聴神経を介して脳の聴覚中枢へと伝えられることで、私たちは音を認識しています。
外耳や中耳の「音を伝えるところ」に問題があって起こるのが「伝音難聴」です。
中耳炎や耳硬化症などの病気、鼓膜の損傷が主な原因で起こります。
一方、内耳から聴覚中枢までの「音を感じ取るところ」に問題があって起こるものを「感音難聴」といいます。
感音難聴には、生まれつき難聴のある先天性のもの、老化に伴って起こるもの、外傷や内耳の病気によるものなど、さまざまな原因があります。
明確な原因もなく、ある日突然、聞こえにくくなる「突発性難聴」も感音難聴の一種です。
突発性難聴は若い人にも発症し、近年、増加傾向にあります。
また、伝音難聴と感音難聴が混在して起こるものを「混合難聴」と呼びます。
このように、難聴の原因となる問題がどこの部位にあるかによって、治療が変わってきます。
伝音難聴は音を感じ取るしくみには問題がないので、補聴器の装用や手術で音の伝わる経路を修復できれば、聞こえがよくなることが多いものです。
それに対して感音難聴では、音を感じ取る感覚機構そのものに問題があるため、単に音を大きくしても聞こえません。
感音難聴のほうが圧倒的に多く、難聴全体の約7割を占めますが、従来は、治療困難とされてきました。
しかし近年、さまざまな人工聴覚器の発達により、聴力の回復が可能になってきたのです。
診断技術も進歩しました。
感音難聴には遺伝的要因が大きく関わりますが、現在は「難聴遺伝子検査」という検査があります。
この検査をすることで、難聴の原因の特定や症状が将来どのくらい進むかという予測ができるのです。
生まれつき難聴のお子さんや、家族に難聴の人がいる場合、遺伝子検査をお勧めします。
ことに、小児の感音難聴はおよそ半数が遺伝性のもので、遺伝子診断がとても重要です。
補聴器が使えない場合は人工聴覚器がある
――人工聴覚器とは、どのようなものなのですか?
人工聴覚器は、補聴器を装着しても聞き取りが不十分だったり、耳だれやかゆみがあったり、耳の構造に問題があって補聴器が装着できない人が対象になります。
「人工中耳」「骨導インプラント」「人工内耳」「EAS」と呼ばれるものがあり、難聴のタイプや耳の構造に応じて選択されます。
人工中耳は、中耳にある耳小骨という骨を直接振動させて、内耳に音を伝えるものです。
中耳炎の手術後に難聴が残ったり、耳の穴が狭かったり、ふさがっていたりして補聴器が使用できない伝音・混合性難聴の人が主な対象です。
人工中耳は、補聴器より音質がよい、耳に器具を挿入する必要がないという長所があります。
日本でも2015年9月に厚生労働省の薬事承認が済み、近いうちにこの治療が受けられるようになります。
骨導インプラントも、同様の伝音・混合性難聴が対象です。
これは側頭骨を介し、音の情報を内耳に伝えるしくみです。
日本では2012年に1製品が保険適用になり、さらに改良された製品も登場し、国内での普及が待たれるところです。
音の電気信号を直接聴神経に送る
さて今回は、感音難聴に用いられる人工内耳を中心にお話しします。
通常の補聴器は、単純にマイクで音を拾い、増幅器を通して、鼓膜へ伝えられる音波を大きくするものです。
しかし、内耳の聴覚細胞が障害されていると、いくら音を大きくしても、うまく聞き取れません。
そこで人工内耳では、体外装置に付いたマイクで拾った音を電気信号に変換して、手術で埋め込んだ体内装置に無線で送ります。
こうして音の電気信号を聴神経へ直接伝えることで、聞こえるようにするのです(下の図参照)。
手術は全身麻酔で行われ、耳の後ろの皮膚を4cmほど切開し、体内装置の埋め込みを行います。
手術には2~3時間を要しますが、切開する箇所も小さく、そう危険なものではありません。
術後は1~2週間ほど入院し、経過を観察する必要があります。
なお、従来の人工内耳の手術では、人工内耳と引き換えに、音を感じ取る蝸牛の組織を傷つけてしまい、元々残っていた聴力は失われていました。
しかし、最近の人工内耳手術では、蝸牛の組織を温存することも可能になっています。
蝸牛の組織を温存しておけば、将来、さらにすぐれた機器や治療法が登場したとき、その恩恵を受けられます。
特に小児や若い患者さんには、蝸牛の温存が重要な意味を持ちます。

92歳で人工内耳の手術を受けた例もある
――人工内耳にすると、すぐに音が聞こえるようになるのですか?
いいえ、そうではありません。
本来なら聴覚細胞で感じ取る音を、電気信号に置き換えて神経に送るため、まずはこの電気信号の送り方を調整し、装用者にとって最も聞き取りやすい状態のプログラムを設定する「マッピング」という作業が必要になります。
最初のうちは、人が話している声を聞いても、ほとんど言葉として認識できないか、ロボットがしゃべっているような機械的な音と感じられますが、その後、聞き取り訓練を1~3ヶ月ほど行うことで、言葉として理解できるようになっていきます。
音の聞こえ方が、どこまで自然な感じに近づくかは個人差がありますが、なかには音楽を楽しめるという人もいます。
言葉は理解できるが、音楽は雑音にしか聞こえないという人もいます。
音を電気信号に変換していますから、どうしても補聴器と同じ聞こえ方というわけにはいきません。
その点は、あらかじめ知っておいたほうがいいでしょう。
ここで、具体的な症例をいくつか紹介しましょう。
92歳の男性Aさんは、難聴で85歳のときから補聴器を使用しました。
しかし年々、聞こえなくなり、ついに家族との会話もできなくなってしまいました。
なんとか聴力を取り戻したいと当院を受診され、人工内耳の適応であったため手術を行いました。
リハビリテーションにも熱心に取り組まれ、3ヵ月後には会話がしっかりと聞き取れるようになりました。
「また家族や周囲の人と話せるようになってうれしい」と、たいへん喜ばれていました。
Aさんは私が人口内耳手術を行った患者さんで最高齢ですが、最近は70~80歳代で人口内耳を希望して来院する人も珍しくありません。
「もう年だから」とあきらめず、高齢でもよくなる可能性があることを知っていただきたいですね。
また、手術当時に1歳半だったB君は、生まれつき両耳がほとんど聞こえていない先天性難聴でした。
先天性の高度難聴は、1000人に1人くらいの割合で起こります。
小児では耳が聞こえないと言語の発達に支障をきたすため、1歳から人工内耳の手術を受けられます。
B君は現在、小学生ですが、人工内耳によってちゃんと音が聞こえ、話せるようになり、健康なお子さんとなんら変わらない学校生活を送っています。
補聴器と人工内耳の特徴を併せ持った機器も登場
――人工内耳の治療が適応になるのは、どんな人ですか?
人工内耳は保険適用となっており、必要と認められた患者さんは、だいたい十数万円程度(収入により異なる)の自己負担で治療を受けられます。
ただし現在、日本での人工内耳の適応基準は米国などと比べると、かなり厳しくなっています。
具体的には「左右両耳に難聴があり、聴力が全音域において90デシベル以上の重度難聴」のみが適応です。
つまり、片耳だけが難聴の場合や、高音域が聞こえなくても、低音域の聴力が残っているような場合は、適応にならないのです。
片耳だけの難聴(一側性難聴)の人も、想像以上に不便な生活を強いられています。
大勢の人が多方向から話しているときに方向感がつかめない、難聴側から車のクラクションが鳴っても聞こえづらく反応が遅れるなど、命にかかわる問題さえあります。
そこで近年、一側性難聴の人に対する人工内耳手術が行われ始めました。
聞こえ方がよくなるとともに、耳鳴りが治る、音の方向感が得られるなど、生活の質の改善に大きく寄与することが明らかになってきています。
現状では保険適応にはなりませんが、先進医療として行えるよう準備をしているところです。
また、低音域の聴力が残っていても、聞こえが不十分で生活上、著しく不便を感じる人も少なくありません。
そういう患者さんが人工内耳にしたいと思っても従来は適応になりませんでした。
なぜなら、従来の人工内耳は、蝸牛に埋め込んだ電極がリンパ液の振動を妨げるため、残っている聴力を悪化させてしまうという問題があったからです。
しかし最近、この問題を解決する新たな人工内耳「EAS(残存聴力活用型人工内耳)」が登場しました。
低音は補聴器で、その他の音域は人工内耳でサポートするという、ハイブリッド型人工内耳です。
EASでは内耳に挿入する電極が細く、しなやかになっているため、挿入しても蝸牛の組織を傷つけずに済みます。
そのため、従来の人工内耳よりも低音の振動を妨げることが少なく、聴力を残すことができるのです。
EASは2014年に保険適用になりました。
人工内耳の対象となる人の幅が広がり、治療の恩恵を受けられるようになったのは、喜ばしいことです。
――こうした最新の難聴治療を受けたい人は、どうすればいいのでしょうか?
人工聴覚器による難聴治療は専門性が極めて高い分野で、普通の耳鼻科医院で受けることはできません。
まずは、地元の大学病院の耳鼻科を受診していただくのがいいでしょう。
人工聴覚器が適用になると判断されれば、治療を実施している医療機関を紹介してもらえると思います。

岩崎聡
1986 年、三重大学医学部卒業。浜松医科大学講師、米国ハウス耳科学研究所等を経て2013 年より現職。外耳道形成術・鼓室形成術・アブミ骨手術など既存の手術はもちろん、改善困難な難聴に対する先端医療である人工聴覚手術を得意とする。従来、原因不明とされてきた難聴を遺伝子診断し詳細な情報提供を行う。信州大学医学部客員教授。