解説者のプロフィール

浦野哲盟
浜松医科大学副学長、医生理学講座教授。
浜松医科大学医学部卒業。血栓研究の第一人者で、テレビや新聞、講演会を通じて、血栓の形成と溶解機構を一般の人にもわかりやすく解説している。
国際血栓止血学会の役員として「世界血栓症デー」活動等により、血栓症の啓発に努めている。
●浜松医科大学
https://www.hama-med.ac.jp/index.html
出血を止めるために血栓はできる
大きな地震の後、被災者に血栓症が増えることはよく知られています。
2016年4月に起きた熊本地震の後も、肺血栓塞栓症や深部静脈血栓症が、予想をはるかに上回って発症したことは、ニュースでも報じられたとおりです。
強いストレス状態に置かれると、体を守ろうとして血栓ができやすくなります。
血栓症とは、血管の中に血のかたまり(血栓)ができ、血管を詰まらせる病気のことです。
血のかたまりが血流に乗って脳の血管を詰まらせると脳梗塞、心臓の栄養血管を詰まらせると心筋梗塞になります。
また、下肢の静脈にできた血栓が肺静脈に飛んで血管をふさぐと、肺血栓塞栓症を起こします。
この代表的な病気が、エコノミークラス症候群です。
脳梗塞、心筋梗塞、そして肺血栓塞栓症も、最悪の場合、死に至ります。
こうしたことから、「血栓は怖い」と、思っている人も多いでしょう。
しかし血栓は、いつでも、誰にでもできています。
例えば、病院で採血するときに針を血管に刺します。
これだけでも血栓はできます。
血管が傷ついて出血したとき、止血のためにできるのが血栓だからです。
体の中ではいろいろなところで、血管が傷ついたり出血しています。
ですから、体のあちこちに血栓はできています。
この働きがなければ出血が止まらず、かえって危険です。
太古の昔、狩りで生活していた人類は、傷やケガが絶えませんでした。
そのため、血液を固まらせて止血する機能は生き残るために必須だったのです。
安全な血栓と病的な血栓がある
では、止血のためにできた血栓が血管を詰まらせるのかというと、そんなことはありません。
血栓は、不必要には大きくなりませんし、また、不要になったら自然に溶けます。
そういうしくみが、人体には備わっているのです。
問題は、血栓が溶けずにいつまでもとどまっていたり、過剰に血栓ができてしまうことです。
それが大きくなって血管を狭めたり、どこかに飛んでいって血管を詰まらせると、その先の細胞に血液が行かず、壊死して、重大な疾患を招いてしまうのです。
つまり血栓には、人体に必要な止血血栓と、病気につながる病的な血栓があるのです。
そもそも、血栓とは何でしょう。
血栓は、血管にできたかさぶたのようなものです。
血管に何らかの原因で傷ができると、血液の中を流れている血小板が活性化して傷口に集まり、傷口をふさごうとします。
さらに「フィブリン(線維素)」という糸状の物質が集まってきて、傷口を固まらせます。
この一連の現象を「血液凝固」といい、できたかさぶたが血栓です。
こうして血栓によって止血された後は、血栓は溶解します。
この血栓が溶ける現象を、フィブリン(線維素)が溶解するという意味で「線溶現象」、そのしくみを「線溶系」といいます。
線溶系は、血管の内皮細胞から出るtPA(ティッシュー・プラスミノーゲン・アクティベータ)という酵素によって開始されます。
このように、血液を固まらせる凝固系と、血栓を溶かす線溶系がバランスよく働くことによって、血管は健康を保っています。
ところが、線溶系がうまく働かなくなると、血栓がそこにとどまり、大きくなって病的血栓になってしまいます。
血栓のできるプロセスと血栓が溶けるプロセス


病的血栓ができる血液・血管・血流の状態
凝固系と線溶系のバランスをくずし、病的血栓をできやすくする要因は、血液、血管、血流の状態です。
下水管と同じで、中を流れる水(血液)がドロドロで、管(血管)がガタガタしていて、流れ(血流)がドロ〜リとしていたら、管のあちこちに汚れ(血栓)がへばりつきます。
この三つの要因を見ると、血栓ができやすい生活習慣が見えてきます。
①血液の要因
血液がドロドロになると、血栓ができやすくなります。
その要因の一つは、赤血球が多い状態です。
赤血球は通常、一つ一つがバラバラになって流れています。
ところが、水が不足して脱水状態になると、相対的に赤血球が増えて、赤血球同士がつながり、ダンゴ状態(連鎖状態)になります。
二つ目は、血中に大きな物質が増えることです。
大きな物質とは、コレステロール、中性脂肪、フィブリンの元になるフィブリノーゲンなどです。
これらが増えると、血液はドロドロになって固まりやすくなります。
②血管の要因
動脈硬化や糖尿病があると、血管壁がガタガタになったり、内皮細胞に炎症を起こします。
血液を固める役割をする血小板は、血管に傷や炎症があると、活性化されて粘着しようとします。
実はこれが、一番危険な血液ドロドロ状態です。
健康な内皮細胞なら、血小板が一部分活性化されても、それを元の状態に戻す成分を分泌します。
ところが、内皮細胞に傷や炎症があったら、それも分泌されません。
そのため、活性化された血小板がいつまでも血管内に浮遊し、ちょっとした傷や血流のうっ滞で、すぐに血栓をつくってしまうのです。
③血流の要因
動脈を流れる血液は、心臓のポンプで押し出されるため、比較的、流れやすくなっています。
一方、静脈の血液を心臓に戻すのは、ふくらはぎの筋肉の収縮や、呼吸運動です。
特に大事なのは、ふくらはぎの筋肉がギュッギュッと収縮することで、下肢の血流が押し上げられることです。
ところが、イスに座ったり、立ちっぱなしだと、ふくらはぎの筋肉が使われず、血液は下にたまったままになります。
こうして下肢静脈の血流が悪くなると、そこに血栓ができやすくなります。

強いストレスがかかると血栓症のリスクが高まる
また、冒頭に述べたように、強いストレスがかかると、血栓症のリスクが高まります。
熊本地震のように、強い余震がくり返し起きると、被災者は強い不安にさらされます。
そういうストレス下では、血小板が活性化されやすくなり、血栓ができやすくなります。
ただでさえ血栓をつくりやすい状態に拍車をかけるのが、狭い所に長時間、座りっぱなしでいる姿勢や車中泊です。
特に車中泊では、寝ているときも、足を下ろした姿勢を保っている人が多くいます。
足を下ろした状態では、下肢静脈に血栓ができやすく、いつエコノミークラス症候群(肺血栓塞栓症)になってもおかしくありません。
つまり、ストレス下で座りっぱなしだと、血栓症のリスクがぐんと高まるのです。
万が一、車中泊をしなければならない状況に陥ったときは、両足をできるだけ胸の高さまで上げて眠りましょう。
このことを知っているだけでも、突然死のリスクを回避できます。
くり返しになりますが、血栓をつくる能力は必要です。
問題は、それが溶けにくくなって病的血栓になることです。
ガンより怖いのが血栓症だと、私は思っています。
