舌の筋力が衰えるとむせて誤嚥する
食べ物を嚙む「咀嚼」、そしてそれを飲み込むという「嚥下」の機能に欠かせないのが、舌の働きです。
多くの人は「歯があれば嚙むことができる」と思っていますが、そうではありません。
たとえ歯があっても、舌がなければ嚙むことはできないのです。
一度嚙むと、食べ物が歯の周りにはみ出します。
はみ出した食べ物に唾液を混ぜてひと塊にまとめて、歯の上に食べ物を再び載せるのが、舌の役目です。
舌が正常に動くおかげで、私たちは食べることができるのです。
嚙んだ食べ物を飲み込むときにも、舌が働いています。
外から見えている舌は全体の3分の2くらいで、舌のつけ根の部分は食道の上まで続いています。
食べ物を飲み込むときは、舌根(舌のつけ根の部分)で食べ物を押し込むようにして食道へ送り込みます。
このように、舌の筋力の強さと動きの滑らかさは、咀嚼と嚥下をスムーズに行うために不可欠な要素ですが、高齢になると、体の筋肉が衰えるのと同様、舌の力や動きも衰えていきます。
すると、咀嚼がうまくできないために食事時間がかかる、食べこぼしが増える、そして飲み込むための適切なサイズに食べ物を口腔内で整えられないため、食事中にむせたり誤嚥したりする恐れが出てきます。
舌を衰えたまま放置すると、咀嚼力がさらに衰え、硬い食べ物や普通食が食べられなくなったり、嚥下機能が低下したりして、誤嚥性肺炎を招くのです。
また、飲み込みが大変になると食事を楽しめず、負担に感じ、食欲が低下して十分な栄養をとれなくなります。
すると衰えや、健康の悪化につながります。
そんな最悪なスパイラルを抜け出すためには、衰えた舌の力を鍛えることが大切で、私が患者さんたちに勧めている方法が、「さきイカトレーニング」です。
これは、さきイカを1本、口にくわえて、舌でそれを左右に移動させながら嚙むという訓練方法です。
右の奥歯でさきイカを1回嚙んだら、舌を使って左の奥歯の上にさきイカを移動させ、左の奥歯で1回嚙む、という具合にくり返します。
咀嚼は、歯や舌だけでなく、くちびる、頬、あごの筋肉なども一緒に働く複雑な動きです。
なぜトレーニングに「さきイカ」を使うのか
さきイカトレーニングは、これらの舌、頬、くちびるを巧みに、さらに連動的に動かすことができるように、トレーニングするものです。
さきイカ以外の食べ物でこの訓練を行うと、食べ物がのどに落ち込み、のどを詰まらせたり、誤嚥したりする恐れがあります。
ですから、訓練は食事とは別に行う必要があります。
さきイカトレーニングを指導した患者さんの中には、食事中にむせることが減った人や、咀嚼力が回復して、刻み食やソフト食などの介護食から普通食に戻ることができた人もいます。
さきいかトレーニングのやり方

舌打ちができない人は衰えている可能性大
舌の筋肉も骨格筋(体を動かすための筋肉)の一部ですから、年齢とともに衰えるのは、ある程度はしかたがないことです。
しかし、骨格筋は運動などで鍛えて強化できる筋肉であり、舌も例外ではありません。
日常生活における会話や食事、そしてトレーニングを通じて舌をしっかり鍛えれば、衰えた舌の力や動きを回復させることができるのです。
加齢とともに筋肉量が減少し、全身の筋力や身体機能が低下することをサルコペニア(加齢性筋肉減弱症)といいます。
高齢者を対象にした大規模な疫学調査の結果、サルコペニアの人は舌の筋力も弱いことがわかりました。
舌の力は全身の筋力と深く関係します。
舌の力が弱くなると食べ物を嚙み砕く咀嚼力も落ちるので、肉など嚙みごたえのある食品を食べられなくなります。
その結果、たんぱく質が不足して筋肉の衰えが進み、要介護状態や寝たきりへとつながります。
舌の力を維持することは、介護予防の意味でも重要なのです。
舌の力を自分で調べるには、舌打ちをしましょう。
これがうまくできなかったり、小さな音しか出ない人は、舌の力が衰えている可能性があります。
また、以前に比べて食事中にむせたり食べこぼしたりすることが増えた人は、舌の動きや咀嚼力が低下していると考えられます。
さきイカトレーニングで舌の力と咀嚼力を鍛え、何歳になっても自分の口でおいしく食事ができるようにしましょう。
解説者のプロフィール

菊谷武
1988年日本歯科大学卒業。歯学博士。日本歯科大学教授、日本歯科大学口腔リハビリテーション多摩クリニック院長。「食べること」「しゃべること」などの口のリハビリテーションを目的とした同クリニックで、外来診療や訪問診療を行う。
●日本歯科大学口腔リハビリテーション・多摩クリニック
http://dent-hosp.ndu.ac.jp/nduhosp/tama-clinic/