定年後、急に声が出なくなる男性が多い
私は耳鼻咽喉科医として、長年多くの患者さんを診てきました。
私の父が耳鼻咽喉科の医師兼バリトン歌手であったこと、さらに私自身がバンドのメンバーとしてピアノを演奏するなど、音楽とのかかわりが深いため、特に歌手などの音声関係の患者さんが少なくありません。
こうした患者さんはいわば声のプロですから、訴えの多くは、声が出ない・出にくい、声の質が変わったといった内容になります。
同じような訴えは、教師やオペレーター、接客業など、普段声をよく出すかたからも寄せられます。
しかし、意外なことに、声とは無関係な職種の患者さんも少なくありません。
声が出ない・出にくくなる理由は、主に次の二つです。
①声を出し過ぎることによる声帯の異常
これは、普段声をよく使う人によく見られます。
私たちは、筋肉の周りを粘膜で覆う構造の声帯のすき間に空気を通し、震わせることで声を発します。
声を出し過ぎると、声帯の表面の粘膜が腫れて声帯のすき間から空気が出にくくなったり、声帯粘膜の一部が硬くなるタコができて声帯のすき間から空気が漏れたりするため、声がうまく出なくなります。
②声を使わないことによる声帯の衰え
声帯は構造の一部が筋肉ですから、使わなければ当然衰えてやせます。
声帯の内部の筋肉がやせると、声帯の合わさる部分もやせ、声帯がきちんと閉じずに空気が通るすき間が広くなり、声が出にくくなります。
②のタイプは、特に中高年の男性に多く見られます。
定年退職後、人と話す機会が減ると同時に声が出にくくなったという人が多いのです。
教師をしていたなど、普段声をよく使っていた人ほど、声帯は急速に衰えがちです。
患者さんの中には、定年退職後2~3ヵ月で声が出なくなったという元教師の男性もいました。
あなたの声が出ない原因はどちら?
声帯を使うか休めるかチェックしてみる
声やのどに異常を感じたときには、耳鼻咽喉科を受診していただくのが基本です。
ただ、声が出ない・出にくいと訴える患者さんに対して、声帯を休めるように指導する医療機関が多いように感じています。
声の異常の原因がタイプ①であれば、声帯を休めることである程度の効果は得られます。
しかし、原因がタイプ②の場合、声帯を休めると、かえって筋肉の衰えが進行し、声がいっそう出にくくなってしまいます。
声が出にくいなと感じたとき、原因がタイプ①と②どちらであるかを調べるための、簡単なチェック法があります。
カラオケで思いっきり歌ったり、大騒ぎをしたりと、声帯をふだんよりも使ってみてください。
その翌日に、一時的に声が出やすくなっていれば、原因はタイプ②のことが多いです。
大声を出すなどして声帯を酷使すると、声帯周りの粘膜がむくんで腫れあがります。
その結果、声帯内部のやせた筋肉の厚みが表面の粘膜で補われて声帯のすき間が狭くなり、声が一時的に出やすくなるのです。
男性は女性よりも声帯が大きくできています。
そのため、老化などによるやせ衰えの影響を受けやすいと思われます。
声帯は大きいほど低い声になります。
バイオリンより一回り大きいチェロの音のほうが低いのと同じ理屈です。
そのため、男性は声帯の筋肉がやせて声帯全体が小さくなると、かん高く薄っぺらい声になり、低い声を出しづらくなります。
一方、女性は加齢により声帯を引っ張る力が低下して高い声が出にくくなったり、声帯のすき間から空気が漏れ過ぎたりしてかすれた声になりがちです。
しかし、声帯の筋肉も、体のほかの筋肉と同様、いくつになっても鍛え直すことができます。
私がタイプ②の患者さんに、声を出すリハビリとしてお勧めしている「プッシング法」をご紹介しましょう。
まず、背すじを伸ばして軽くあごを引き、胸の前で左右の手のひらをグッと強く合わせます。
そのまま、あくびをするときの形に口を開いて、あーっ、あーっ、とくり返し声を発します(詳しい方法は下記参照)。
実は、このプッシング法には意外な効用があります。
声帯の筋肉を鍛えると、トイレでいきみやすくなります。
そのため、加齢や運動不足が原因の便秘にも、プッシング法は有効です。

加えて、声の出にくさを防ぐ生活習慣をご紹介します。
●口の乾燥を防ぐ
中高年になると、唾液の分泌が少なくなりがちです。
部屋の乾燥を防いだり、マスクを利用したり、のどあめをなめるなどして口の乾きを防ぐだけでも、声は出やすくなります。
のどあめは、のどの傷を修復する可能性のあるプロポリスや南天の実、唾液の量を増やすとされるカラスウリの根などの成分が入ったものがお勧めです。
●運動を習慣にする
運動量が減り、手足などの筋肉が衰えると、並行して声帯の筋肉も衰えます。ウオーキングなどで全身を動かしていれば、声帯の筋肉も維持できます。声のためにも、健康のためにも、適度な運動習慣を身に付けましょう。
●声帯を適度に使う
声帯の筋肉を衰えさせないために、カラオケやおしゃべりなどで適度に声帯を使うとよいでしょう。ただし、大声を出したり歌い過ぎたりすると、かえって声帯を傷めます。
●規則正しい睡眠習慣を
心拍や血圧など、無意識のうちに体のさまざまな機能を調整している神経を、自律神経といいます。この自律神経のバランスが乱れると、声が出にくくなります。規則正しい睡眠の習慣は、自律神経のバランスを整えます。
●タバコはNG
喫煙の習慣は、声帯を痛めます。声のため、のどのためには禁煙を強くお勧めします。
ちなみに、高齢の男性など、声帯やのどの筋肉がやせてしまっている人がタバコを吸うと、声帯の筋肉が炎症を起こして腫れるため、一時的にすき間が補われて声が出やすくなることがあります。
こういった人が禁煙をすると、逆に声が出にくくなることがあります。ですが、長期的にみれば、禁煙をして、プッシング法や日々の習慣で筋肉をつけたほうが、声にも健康にもいいことは言うまでもありません。
●お酒の習慣はほどほどに
スナックのママさんは、枯れて低い声のかたが多いです。
アルコールそのものも声帯に充血をもたらすでしょうし、酒の席につきもののタバコの煙とおしゃべりが原因です。
話すことは基本的には声帯のトレーニングになるのですが、煙った中でしゃべり続けることは、のどにとっては悪影響です。お酒を多く飲む習慣のある人の声帯は、つねにブヨブヨにむくんでいます。お酒はほどほどの量を楽しんでください。
●胃酸過多を防ぐ
胃酸過多な人はげっぷなどで逆流した胃酸が声帯を傷つけ、声を出にくくすることもあります。胃酸が多くなる原因は、油っこい食事や夜21時以降の食事、早食いなどです。胃酸が多くなる食習慣は避けましょう。

萩野仁志
1958年生まれ。東海大学医学部卒業。東海大学医学部東洋医学教室非常勤講師。以前は東海大学病院(伊勢原市)で長年音声外来を担当。耳鼻咽喉科医としての診療のかたわら、クラシック&ジャズピアニストとしても活動を行う。共著に『「医師」と「声楽家」が解き明かす発声のメカニズム』(音楽之友社)がある。
カラオケで熱唱したり、大騒ぎをしたりする。
その翌日に声が出やすくなっている場合
”声を出さないことによって”声帯が衰えていることが多い