間違いを受け入れればマイナスがプラスになる
そもそものきっかけは、認知症のかたが暮らす施設を、取材で訪れたことでした。そこは、「認知症になっても、自分らしく生きていくことを支える」ことをモットーに運営され、認知症になっても、料理や掃除、買い物など身の回りのことは、できる範囲で行われていました。
その取材中、お昼をごちそうになりました。その日の献立はハンバーグと聞いていましたが、出てきたのは餃子でした。間違いを指摘しそうになりましたが、違和感を持ったのは私だけでした。認知症のかたも介護するかたも、全く気にせず召し上がっていました。
そのとき、その場にいる人たちが間違いだと思わなければ、「間違いは間違いじゃなくなるんだ」と気づいたのです。
その施設では、他人の間違いを指摘するかわりに、間違いを寛容に受け入れ、みんなが楽しむことができていました。そのときに思いついたのが、「注文をまちがえる料理店」という名前でした。
間違いを受け入れる施設での光景は、とてもすてきでした。「この光景を町の中に持って行き、多くの人がそれに触れられたら、きっとすばらしいことになるんじゃないか?」そう考えたのです。
そして、多くの皆さんのご協力をいただきながら、2017年に「注文をまちがえる料理店」を開催できました。配膳スタッフは、みんな認知症というちょっと変わったお店です。
普通なら、注文を間違えたら抗議されて当然です。でも、この料理店では、間違いが価値に変わります。受け取りかた一つで、今までマイナスだったものがプラスに変わるのです。
あるお客様は、「オムライスを頼んだら、オムライスがきちゃった」と喜びつつ、「認知症のかたって普通なんですね」とも話していました。それは、とてもうれしい言葉でした。
私自身も含めて、多くのかたが認知症について、「徘徊したり、わけのわからないことをいったりするばかりで、何もできない」という、そんな暗い印象を抱きがちです。それだけで、認知症についてなんとなく「知ったつもり」「わかったつもり」になっている。
「注文をまちがえる料理店」で認知症のかたと触れ合う場を作ることで、なんとなく知ったつもりの段階から、もう一歩前へ進んでもらえればうれしいなと考えていました。
認知症の皆さんは、決して何もできないわけではなく、普通に接客もできるのです。確かに、ときどき間違えることもありますが、そのことも、その場のコミュニケーションでふんわりと解決されていきました。こうして、ほのぼのとした光景が数え切れないほど生まれました。
ピアノを弾く自信がつき元の明るい性格が戻った
この企画が成功したのは、期間限定の非日常のイベントだったからにほかなりません。もちろん、このイベントが成功しても、認知症が治るわけではありません。しかし、このイベントは、認知症のかたやそのご家族、介護スタッフにとって、貴重な体験になったと確信しています。
三川泰子さんは、40年間、ピアノの先生をしていました。若年性アルツハイマーでピアノが弾けなくなり、「もう生きていたくない」と思ったこともあったそうです。今回、泰子さんは毎日練習を重ね、レストランでは、ご主人のチェロの伴奏で、すばらしいピアノ演奏を披露してくれました。
ご主人の一夫さんによれば、「認知症になると、自信を失ってしまうんですね。妻も、ピアノが弾けなくなり、暗くふさぎ込むようになっていました。今回のことで、再びピアノを弾くようになって自信がつき、元の明るい性格が戻りました」
この楽しい料理店が終わったあとは、また、認知症の進行と闘う日々が始まります。その厳しい現実においても、「このときの笑顔を知っているかどうかで、気の持ちようが違ってくるかもしれない」と話すご家族もいました。
くり返しになりますが、「認知症だから接客するのは無理」なんていうことはありません。ご本人やご家族が、「認知症だから難しい」とあきらめていたことが、この場所では次々と実現したのです。
そして、認知症を受け入れる「世の中」が少しだけ変わることで、多くの人たちが、もっともっと生きやすくなるのかもしれません。
今年9月、全国のいくつかの都市で、再び「注文をまちがえる料理店」が開かれる予定になっています。もし、皆さんの町に、この数えきれないほどの笑顔と涙と、ちょっとした奇跡に満ちた料理店がやって来るときには、ぜひお越しください。

解説者のプロフィール
小国士朗(おぐに・しろう)
香川県出身。テレビ局ディレクターのかたわら「注文をまちがえる料理店」の活動に取り組んでいる。その詳細については、著書『注文をまちがえる料理店のつくりかた』(方丈社)につづられている。
料理店の中は、笑顔でいっぱい。三川さんご夫妻(写真右下)が奏でるメロディーは、お客さんを大いに魅了した。 写真◎森嶋夕貴(D-CORD)