解説者のプロフィール

大野博司(おおの・ひろし)
理化学研究所粘膜システム研究チームリーダー・医学博士。
1983年千葉大学医学部卒、1991年千葉大学大学院博士課程修了。千葉大学医学部助手、米国NIH留学、千葉大学医学部助教授を経て1999年金沢大学がん研究所教授。2004年より理化学研究所勤務、2018年より現職。2005年より横浜市立大学大学院客員教授、2007年より千葉大学客員教授、2017年より神奈川県立産業技術総合研究所プロジェクトリーダーを兼務。
病原菌の撃退に腸内細菌が関わっていた
免疫とは、体に侵入してきた病原菌やウイルスを撃退する人体のしくみのことです。
免疫の主役を担うのが「免疫細胞」という戦士たち。彼らが異物を見つけ攻撃してくれているのです。
皆さんは「腸」が免疫の重要器官であることをご存知でしょうか。実は、7割もの免疫細胞が、腸に集中しているのです。腸の壁には免疫細胞が密集して外敵の侵入に備えています。さらに、腸から全身に免疫細胞が送られ、全身をパトロールしています。
私は腸と免疫の関係を専門とする研究者です。
近年、腸の免疫機能に「腸内細菌」が深く関わっていることが明らかになり始めています。中でも注目を集めているのが、「クロストリジウム」という種類に属する腸内細菌です。
クロストリジウム菌には100種以上の仲間がいますが、このうち十数種に、免疫機能を正常にする働きがあることがわかってきたのです。
免疫の要は「攻撃役」と「ブレーキ役」のバランス
免疫の主役である免疫細胞は「攻撃役」と「ブレーキ役」が互いにバランスよく働くことで、私たちの健康をコントロールしています。
例えば、攻撃役の免疫細胞が働きすぎると、病原菌やウイルスだけでなく、正常な細胞など人体に害のないものまで攻撃してしまいます。
これはいわば「免疫の暴走」といえる状態です。現代に増えているアレルギーや、さらにはクローン病といった自己免疫疾患にも、免疫の暴走が関わっていると言われます。
免疫の暴走を防ぐのに重要な役目を果たしているのが、ブレーキ役の免疫細胞です。ブレーキ役の免疫細胞は、攻撃役の免疫細胞の興奮をなだめて、過剰に働かないように抑えています。
こうして、攻撃役とブレーキ役が互いに働くことで、免疫機能がコントロールされて、私たちは健康でいられるのです。

攻撃役の免疫細胞の興奮を、ブレーキ役の免疫細胞が抑えている
免疫細胞を増やす腸内細菌が見つかった
2011年、東京大学の本田賢也博士(現・慶應義塾大学教授)の発表が、世界に衝撃を与えました。
なんと、クロストリジウム菌のなかに、ブレーキ役の免疫細胞を大量に増やす働きがあることが、マウス実験で明らかになったのです。
そして、クロストリジウム菌を、免疫が暴走して大腸炎が起きていたマウスの腸に入れると、免疫の暴走がおさまり炎症が抑制されました。
つまり腸内細菌の一部が、免疫の正常化に大きな役割を果たしていることが明らかになったのです。
それまでも、「アレルギーなど免疫の暴走が原因と思われる病気の患者さんには、共通して特定のクロストリジウム菌が少ない」という傾向はありましたが、本田博士の発表は、それを裏づけるものでした。
食物繊維で免疫をコントロールする物質が増加
クロストリジウム菌は、どのようにブレーキ役の免疫細胞を増やしているのでしょう。我々の研究チームはそのしくみを調べました。
そして今回、クロストリジウム菌が作る「酪酸」という物質が、ブレーキ役の免疫細胞を増やす働きをしていることを、私たちは突き止めました。
つまり、クロストリジウム菌の作り出す酪酸こそ、免疫のカギを握る物質だったのです。
そうとわかれば、免疫機能を安定させるため、クロストリジウム菌や酪酸を増やし、ブレーキ役の免疫細胞を増やしたいと思うものです。
ではどうしたら、クロストリジウム菌や酪酸を増やすことができるのでしょうか。
それには、クロストリジウム菌のエサになる「食物繊維」をとることが有効と考えられます。

クロストリジウム菌の作り出す「酪酸」に、ブレーキ役の免疫細胞を増やす働きがあることがわかった。免疫の正常化につながる可能性がある
私たちは、クロストリジウム菌を腸に住ませたマウスを2グループに分けました。そして、1つのグループには食物繊維の多いエサを与え、もう1つのグループには、ほとんど食物繊維の入っていないエサを与えました。すると、食物繊維の多いエサを与えたマウスでのみ、酪酸の生成量が増えたのです。
また、腸の酪酸濃度が高いマウスは、そうでないマウスに比べて、ブレーキ役の免疫細胞が約2倍も多くなっていることがわかり、さらにマウスの大腸炎も抑制されました。
ですから、野菜や海藻、キノコといった食物繊維をとることは、腸内のクロストリジウム菌や酪酸を増やし、免疫機能を安定させることにつながると期待できます。
注意したいのは、クロストリジウム菌の仲間だけが、食物繊維をエサに酪酸を増やすわけではないということです。他にも食物繊維をエサに酪酸を作る菌は存在します。
もちろん、一部のクロストリジウム菌が腸内にいれば、食物繊維をとることで酪酸が大量に増えることは間違いないでしょう。
決して、酪酸だけが健康の決め手になるわけではありませんが、食物繊維をとって酪酸を増やすことは、腸の健康を保つ有効な方法のひとつだと思います。