解説者のプロフィール
原因不明の高血圧に薬は必要ない
私は東京・吉祥寺に自分の医院を開業して以来、38年間、小児科医として働いてきました。
私の経験からいえるのは、子供たちの病気は、薬や注射よりも、日本の伝統的な食事、自然な衣類、自然な住居、自然な生活リズムなどの環境を整えるほうが、自然と癒えていくということです。
さて、今回のテーマである高血圧になったとき、私たちはどうしたらよいでしょうか。
「血圧が高いですね」と医師から注意を受けた際、大切にすべきことは、子供たちの場合となんら変わりがありません。
私自身、50代から最大血圧が200ミリを超えていて、250ミリあたりまで上がったこともあります。最小血圧も100~110ミリ程度あります。これほど血圧が高いと、たいていの医師は降圧剤を勧めますが、私は降圧剤を飲みません。
治療すべき高血圧症と、治療しなくていい高血圧
高血圧は、治療すべき高血圧症と、治療しなくていい高血圧と二つに分けることができます。
一つは、ほかに病気があって、そのために高血圧症になっているケース。昔なら腎臓病、今なら、例えば糖尿病といった病気が挙げられます。この場合、まず腎臓病や糖尿病の治療を優先しなければいけません。そのために、薬を飲む必要もあるでしょう。
もう一つは、高血圧の約90%を占めるといわれる本態性高血圧です。これは原因不明とされている高血圧です。私自身も、この本態性高血圧です。
本態性高血圧の場合、たとえ血圧が高くても、降圧剤を飲む必要はないのです。本態性高血圧は、病気ではありません。むしろ、なんらかの必要があって、血圧が高くなっていると考えるべきでしょう。その人にとっては血圧が高いことが自然なのです。それを薬で無理やり下げては、体にいいはずがありません。
私が38年間元気なのは「血圧が高いから」
この38年間、私が休診したのはたった一日。六年前、妻の告別式のときだけです。私は長い年月、休むこともなく、元気に働き続けてきました。皆さん、私がいつも元気なのにびっくりされますが、その理由は血圧が高いからなんですね。
それに、高血圧の基準値が改変された経過を見れば、いかにそれが無根拠なのものかがわかるはずです。1955年には、最大血圧160ミリ以上が要注意とされていました。ところが、その基準値がどんどん下がりだしました。150ミリになり、いつの間にか140ミリに下がったのです。基準値が140ミリまで下がると、要注意の人が日本で3700万人にもなります。
要するに、医師が経営を成り立たせるため、患者さんをへらさないように基準値を下げ、新たに患者さんを作っているだけなのです。それが今では、130ミリを基準値としています。
同様に、コレステロールの基準値もどんどん下げられています。これはアメリカがやりだしたことですが、日本もそれに追随しているのです。
ですから、血圧が基準値を超えたからといって、医師にいわれるまま薬を飲んではいけません。高齢になれば、血圧やコレステロール値に限らず、なんらかの検査で基準値を超える値が出るのは、あたりまえのことです。それでも健康に日常生活が送れるなら、それが自分の正常値と思えばいい。
高血圧のお悩みには「戦前の生活様式」がお勧め

昔の生活がオススメ
では薬を飲まずに、私たちはどんな生活をすればよいでしょうか。私が皆さんにお勧めしたいのは、昭和20年以前の日本人の生活です。
その当時の生活と、今の生活を比べてみましょう。
まず、赤ちゃん。昔は自宅分娩で、母乳で育てました。今は病院分娩で、人工・混合栄養です。おむつは、昔が布おむつで、今が石油おむつ(紙おむつ)。
衣服も、昔はいずれも通気性のある素材である木綿、麻、絹でした。今は通気性のない、石油化学繊維の衣服が大半です。
住居は、昔が通気性の高い木造建築。暖房器具は火のこたつ、火鉢、いろり、湯たんぽ。夏には打ち水をして、うちわやせんすであおぐだけでした。今は密閉性の高い鉄筋の部屋には、暖房冷房がきいています。
炊事は薪で、洗濯も洗濯板を使って手洗いでした。掃除はほうき、はたき、ちり取りを使いました。一方、今は、炊事は電気炊飯器や電子レンジ、電磁調理器が使われ、洗濯は電気洗濯機、掃除は電気掃除機です。
食事は、その土地で取れた食べ物、旬の物、自然の恵みを受けた物が食卓に並び、腹八分目でした。今は、他国の食べ物、季節外れの食べ物、防腐剤・保存料・食品添加物の入った腐らない食べ物が食卓に並び、飽食するまで食べています。
これだけ見ても、昔と今とでは非常に大きな違いがあることがわかるでしょう。私自身、冷暖房をいっさい使いません。また、さまざまな病気の引き金になる、電磁波を生みだす電化製品を極力少なくしています。
高血圧で悩んでいるかたは、試しに、戦前の生活様式を実践してみてはいかがでしょうか。
真弓定夫
1931年、東京都生まれ。東京医科歯科大学卒業後、佐々病院小児科医長を務めた後、1974年、真弓小児科医院を開設。“薬を出さない・注射をしない”自然流の子育てを提唱。『自然にかえる子育て』(芽生え社)、『長寿の条件』(桃青社)、『子どもは病気を食べている』(家の光協会)など著書多数。