
精神治療の現場でも役立っているウォーキング
精神科の病院やクリニックは、自分には関係ない特別な場所と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
ストレスがたまって体調がおかしくなる。世の中の変化についていけずに気がめいる。理由が曖昧なまま落ち込んだ気持ちになる。会社を休みたいと思う。こうした漠然とした疲れや不安の延長線上に、うつ病や不安障害などに発展する可能性があるのです。
こうした心の病気に対する治療法の1つとして、1980年代後半からウォーキングが導入されました。運動不足や消極的な生活パターンになりがちな精神科の患者さんに歩いてもらうことで、体力の向上とともに、ストレスの解消や日常の生活パターンの改善を目指すことができます。
ウォーキングには、特別な器具や場所が必要ありません。患者さんにも安心して勧められます。いつからでも簡単に始められますし、家にこもりがちな人には屋外に出るよい機会になります。
うつ病や不安障害がコントロールしやすくなる
実際に私が治療にウォーキングを導入した、28人の男女の患者さんの調査結果を紹介しましょう。28人のうち、病気の症状が重い人はほんの数人です。ほとんどの人は病的な症状も目立ちません。
無理のないウォーキングを指導した以外は、特別な運動メニューなどは強制していません。必ずしてもらったことは、事前に心肺機能をチェックすることぐらいです。そのうえで、患者さんにいくつかのことを提案してみました。
いつもより歩幅を広くとってみたらどうですか、ウォーキング用の靴を用意してはどうですか、地図や歩数計を使ってみたらどうですか、といったことです。あとは患者さんの自主性に任せました。
その結果は表1のとおりです。28例のうち18例までが、精神科の治療にウォーキングを併用することで、病気の症状が軽快または改善しました。悪化したのは、足の関節を故障した1人だけです。
それでは、個別の患者さんの例を見てみましょう。
うつ病
52歳の主婦。当初ウォーキングに乗り気でなく、歩き始めて1週間で中断しました。
しかし、自宅付近の地図を片手に再度挑戦し、近所でも知らない店があることを発見。
それからウォーキングに興味を覚え、着実に歩く範囲が広がりました。
また、焦ったり、せっぱ詰まった気持ちになったりすることが減り、気持ちに余裕が持てるようになりました。
不安障害
24歳の女性コンピュータープログラマー。職場の上司の小言に緊張するあまり、手の震えが出始めました。
診療中はごく普通の女性という感じでしたが、手の震えの話題には敏感な態度を示しました。
ウォーキングを勧めた当初は拒絶的でしたが、実はひそかにウォーキングを始めていました。
1年後、職場での他人に対する緊張感は以前とそれほど変わらないものの、仕事への積極性が感じられるようになりました。
統合失調症
25歳の男性。まず父親がウォーキングに興味を持ち、患者本人を誘いました。
その後も、週末にはハイキングをかねて、家族そろってウォーキングを続けました。
後には、近所を散歩するようにもなります。その結果、体重はウォーキング開始前の72 kgから65 kgに。
おしゃれを楽しみ、活発になり、家庭全体が明るくなりました。
以上の結果から言えることは、ウォーキングで体力が養われて健康になり、さらに精神面にも大きなプラスになるということです。
また、毎日ウォーキングをすることで、規則正しい生活を送れるようになります。さらに、自分で決めた距離を歩き遂げることによって、達成感や精神の調整、自己管理の快感が得られるのです。

地図や歩数計の活用で歩く意欲が増す
このように、ウォーキングは心の健康にすばらしい効用があります。歩数計を利用して目標歩数を決めて歩数を伸ばしていけば、達成感や満足感も得られます。
まずは、地図を片手に家の周囲から路地裏ウォッチングのつもりで歩き始めてはどうでしょうか。新たな発見の喜びは、行動範囲を広げていきます。また、家族やグループで歩けば、お互いのコミュニケーションも深まるでしょう。
行動範囲が広がると、新たな人や物と触れ合うことになります。すると、人は積極的な性格になり、他人とのコミュニケーションも円滑になっていくものです。

解説者のプロフィール

大西 守
1952年、東京都生まれ。東京慈恵会医科大学大学院博士課程修了。80~82年、フランス政府給費留学生としてパリのサンタンヌ病院に留学。現在、日本精神保健福祉連盟常務理事。日本外来精神医療学会理事長、日本スポーツ精紳医学会常任理事、日本産業精神保健学会常任理事など、多くの学会の要職を兼務。